母親になった日の事を忘れない

初めて子供を産んで親になった日の事を、恐らく一生忘れることはないと思います。
特に女性は、痛い思いをしながら命がけで子供を産むわけですから、絶対に忘れることなんてできるはずがないのです。

生まれたての赤ちゃんが、こんなにも小さくて柔らかいとは思ってみませんでした。
顔も手も足も小さくて、なんて可愛いのだろうと思ったものです。
そして、神様に感謝の気持ちでいっぱいになりました。
色んなことが日々起こり、あたふたしたり迷ったり悩んだりしながらも、思い返してみればあっという間。
もう少ししたら、自分の足で歩くようになるでしょう。
だからこそ、今を大切にして生きていきたいと思っています。
あと少しの親子時間を、大切にしていこうと思います。
子供が大きくなれば、一緒にいたいといくら願ってもきっと難しくなってくるはず。
もっと楽しい場所を見つけるに違いありません。
私が母親になった日、全てが違って見えました。
目の前にあるもの全部に、ありがとうと言いたくなる気持ちでした。
この世に一人送り出した私。
それは紛れもなく、凄い仕事をなし終えたと言って良いことだと思います。
もちろん、この世の全ての母親に同じことが言えます。
生きているということは本当に不思議です。
この世に存在するということも、とてつもなく凄いことなんだろうなと思います。
そんな大切なことを、私は自分の出産を通し子供から教えてもらったのです。
手足の大きさも顔の大きさもほとんど同じになった今、もう二度と戻ることがない愛しい日々を思い出しながら、これからのことを考えているところです。

人間形成と将来

子供の頃の写真を実家にいるときに見てみると、どこかに旅行に行ったりする写真がたくさんあった。
姉が幼稚園、私はまだ幼児だ。
姉はかすかに記憶があるらしく、「このときはおじいちゃんが〜、」というようなことを母と話している。

しかし私は全くといっていいほど記憶が無い。
子供向け教育番組の公開収録が福岡であるときに母親が応募していて当選したので、ホールにつれて行ってくれたときの写真も出ていた。
観客席の椅子に座って、歌のお姉さんのダンスに合わせて一生懸命手を動かしている姉妹の写真。

近所に住んでいた幼なじみの三姉妹も一緒に行っていたので、二人の母親で五人の子供を見ていたということだ。
しかし、このホールに行ったことも全く覚えていないことを話すと母親は「あんなに大変だったのに!結局覚えていないんだから、幼児のときは連れてってもしょうがないね〜」と淋しそうに言っていた。

しかし、今は記憶としては全く覚えていないが、そうやって色々な所につれていってもらい、普段とは違う風景を見ることが子供の人間を作るので、無駄じゃなかったよ!と思う。
実際に、どうせ将来覚えていないだろうからとどこにも連れていかない場合、どんな風に人間は成長するのだろうか。

昔は、レストランで食事をしたり、劇場に行くのは一部の上流家庭だけだったから、娯楽を体感せずに過ごした人もいるだろう。
子供がいる友達は、子供が1歳になったころにはたくさんお出かけしている。
自分の気分転換というのもあるだろうが、牛がいる牧場や草原につれていって楽しむ子供の笑顔を見ているという。
覚えていないが、きっと今の私ができるために、母親がしてくれたことが役だっていると思う。

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